沼田法律事務所

弁護士紹介

名誉顧問 沼田安弘弁護士は、1970年に第一東京弁護士会に弁護士登録をし、1972年に千代田区麹町に沼田法律事務所を開設しました。最高裁長官や国際司法裁判所判事を歴任された田中耕太郎氏の知遇を得ておりましたので、事務所開設の案内状には、同氏の推薦の言葉を載せることができました。以来40年を超える年月、弁護士業務その他で経験を積んでまいりました。

その間、弁護士としての活動の場を拡げてきました。強く記憶に残っていることを紹介します。
城山三郎氏の書いた「官僚たちの夏」のモデルとされる通産次官をされた佐橋滋氏に目をかけられ、1974年夏には、佐橋滋氏を団長とする余暇調査船に、500名を超える産業界の人を乗せてのニューギニアまでの南太平洋クルーズに、顧問弁護士として参加したり、沖縄海洋博の跡地利用の調査研究に携わったりしました。

また、1999年には小渕総理の肝いりで、中国をエネルギー、環境、経済の分野で支援するためのODA(政府開発援助)の3Eプロジェクトが立ち上げられ、沼田は経済法の分野での専門委員に委嘱され、5年間、中国に行き来し、中国の近代化のための法制度支援に携わりました。そもそも、沼田は以前より、日本の企業、産業が生きる途は中国であり、そのためには中国の近代化に協力しなければならないという持論があり、1995年には、「中国進出企業の法律トラブル対策」という本を日本経済新聞社より出版しました。

さらに、その続編ともいうべき、ジェトロの「中国経済」という月間中国専門誌上に2004年4月まで8年間にわたりコラムを担当し、
中国ビジネスの実際を紹介してきました。「SAPIO」という雑誌にも紹介されたこともあります。中国室を立ち上げ、日本企業の中国ビジネスをサポートしてきました。

個々の案件では、アマゾンを探検していた大学生が、ペルーの軍隊に殺害されたらしいという痛ましい事件がありました。普通の方法では、容易に解決できない状況ではありましたが、日本国政府の協力を得て、ペルー政府と交渉し、鮮やかな和解による解決ができたことは忘れられません。

また、経団連と日経連の二大経済団体が合併しましたが、その合併手続きを行ったことも変わった経験の一つです。当時の小泉首相が新団体発会式の席で、新団体を「日本経団連」と命名発表をしたことは記憶に新しいところであります。
その他、裁判事件は多岐にわたり、数知れず手がけてきました。

業務のかたわらで、ボランティアもやっております。出身大学の経営にも携わり、評議員を20年近くも務め、また出身大学の経済人の会の副会長を務め、毎月、日本工業クラブで例会をやっております。「難民を助ける会」も支援しています。